上映会

映画「ふじ学徒隊」上映会 - 2013年10月26日

東京岳南会主催ドキュメンタリー映画「ふじ学徒隊」の上映会は、折からの台風27号、28号の接近で開催が危ぶまれ、また直前に参加を見合わせる方もおられましたが、台風一過の10月26日(土)午後日本橋公会堂にて32名の参加を得て行われました。

太平洋戦争沖縄戦で動員された女子学徒隊は10校約500名。ほとんどの学徒隊が半数近くの死者を出した中、25名中わずか3名の戦死者にとどまったのが山部隊第2野戦病院に配属された「ふじ学徒隊」です。戦況の悪化により野戦病院壕も最期を迎えたとき、隊長の小池勇助軍医は学徒隊に「決して死んではいけない。必ず生きて親元へ帰りなさい」と解散命令を出し、その後自決します。小池隊長こそ母校野沢北第3回卒業の先輩です。

生き残った学徒隊員たちは、「悲惨な戦争の最後を語り継いでくれ」、という隊長の遺志を守り、当時の証言を冊子にまとめ、修学旅行生への語り部等の活動をしてきましたが、その証言をドキュメンタリー映画にまとめたのが本編です。 小池隊長ご子息の奥様小池吉子さんが会場に来てくれましたが、隊長の最期については、沖縄がずっと占領下に置かれたこともあり、戦後20年以上経ってフジテレビが報道するまで遺族ですら全く分からなかったそうです。その後学徒隊が長野県に来てくれたが、彼女たちの戦後は「みんな兵隊さん達と一緒に死んでいったのになぜおまえたちは...」と生き残ったことをとがめられる日々だったと言うことを聞き、申し訳ないことをしたという自責の念にかられた日々が続いたそうです。彼女たちから「生きていてよかった」と言ってもらえたのはようやく1980年代も後半になってからのことでした。

死に直面した恐怖の中での救護活動という絶望的な任務を果たしたにも拘わらず、そして戦争が終わったにも拘わらず、なお責められる日々を送るというのは、本土の人には想像もできないことで、それほどに沖縄の傷が深く、大きかったということではないかと思います。

お母上が第一高女(ひめゆり部隊の出身校)だったという沖縄出身の外間宏彦さんも会場に来てくれ、戦争によって破壊されたままの町で子供のころを過ごしたと話されました。

長野県人にとって遠い地である沖縄ですが、身近なところでこんなに深くつながっている人たちがいることを知りました。沖縄をめぐっていろいろなことが起きていますが、決して忘れることのできない歴史の延長線上で生きているひとたちのことだ、ということを見失わずにいろいろなことを考えていきたいと思います。